2015年 09月 16日
カンボジア旅行記(プノンペン・シェムリアップ) |
ベトナムでの滞在を終え、陸路でカンボジアへと入国する。
(ベトナムとカンボジアの国境)
一見、立派な建物に見えるが、中は質素で冷房もない。その上、多くの人で溢れかえっているため、蒸し暑い。
ここで事件が起きる。
私は同じバスの乗客の中で列の最後尾に並び、カンボジアに入国することとなった。
イミグレーションの列で前に並んでいるドイツ人と談笑しながら、入国を待つ。
ドイツ人が入国を済ませ、自分が入国審査を受けようとした際にまさかの停電。(カンボジアではよく停電が起きる)
復旧まで数分待ち、カンボジアへ入国するとさっきまで乗っていたバスがいない。ちなみにバックパックはバスに乗せたままである。
国境で事件が起きるとはよく聞いていたが、まさか置いて行かれるとは思ってもいなかった。しかも、荷物を積んだまま。
しかし、なぜか近くにバスに乗っていた集金係りがいる。
そいつは私を発見するなり、近寄ってきて「バスは先にいった、バイクで追いかけるぞ!」と言った。
えええええええ!?
よく分からない展開だったが、荷物を積んでいる以上は何としてもバスに辿り着かなくてはいけない。
国境からバイクタクシーに3人乗りでバスを追いかける。(運転手・集金係り・私)
10分ほど走ると、バスが休憩所にて停止している。無事に追いつくことが出来た。
バス会社は確か【kumho~~~~】のような名前で赤いバスである。後日調べたのだが韓国系列の会社である。今後行かれる方は注意してもらいたい。
カンボジアの首都プノンペン到着後は戦場となったキリングフィールドへ。
向井理の出演していた、『僕たちは世界を変えることができない』の撮影にも使われた場所。
実際の戦場をそのまま残している。
写真の骨は模型などではなく、本物である。
ここで多くの人が犠牲になっているため、たくさんの骨が出現する。
その後、プノンペンでゲストハウスを探す。
どこか錆びれていながらも、多くの車、バイクで溢れる街並み。
これが発展途上国なのだろう。
ゲストハウスを確保し、私は今回一番楽しみにしていた、カンボジアオリンピックスタジアムへと歩いて向かう。
そもそもスタジアムは観光地ではなく、普通の旅人は訪れることはない。
しかし、サッカー好きの私にとって、今度のW杯予選で日本と対戦するカンボジアのスタジアムへの興味は高い。
スタジアムに到着。 平日でも多くの人の憩いの場として活用されていた。
スタジアムの形は取り壊された日本の国立競技場に似ている。
ピッチへも地元住民に混ざり、侵入。
報道通り、人工芝である。
翌日も訪れたのだが、スコール直撃でピッチには無数の水たまりが。
試合日は雨が降らないと良いが…
GK西川が守るゴールを先に私が守る(笑) 日本代表と同じピッチに立ってきました。
ハリルホジッチが座るベンチにも現地のおじさんと座ってきました。
スタジアム内をうろうろしていると、自称カンボジア代表の走り幅跳びの選手に遭遇。
今度はスタジアム周辺を徘徊。
ストリートサッカーをする男たち。
もちろん、混ざる以外の選択肢はない。 カンボジア人の彼らも日本人である私を受け入れてくれる。(日本vsカンボジア前日9/2)
日が暮れると同時に試合終了。
みんな足元には優れるが体の線が細いといった印象。
この日はこれにてホテルへ帰宅。
日本vsカンボジアのW杯予選当日。
地元埼玉県では試合が行われる。そんななか私はカンボジアに。(ホームとアウェイを間違えたわけではない(笑))
午前中は日本人がオーナーをやっているサッカーチーム、『カンボジアンタイガー』のスタッフの方に取材?といった形で話を聞くことに。
午後はトゥール・スレーンという戦争時の収容所へ。
こちらもキリングフィールド同様で映画にも出てきた部屋。
ここも当時のまま残してある。日本の学生証を提示すると無料で入ることができた。
他にも王宮なども見学したが、感動がいまいちだったので触れずにおく。
夜はもちろん、カンボジアで日本vsカンボジア代表を観戦。
カンボジアの日本人経営のバーで観戦。日本人とカンボジア人半分ずつほど。
試合は大いに盛り上がりました。
試合後、ホテル周辺を散策。2日間の滞在にして、首都プノンペンを後にしてアンコールワットのあるシェムリアップへ行かなくてはならない。
そのため、名残惜しくなり夜中の徘徊。 といっても夜9時にはほとんどのお店がシャッターを下ろす。
そんな中、見つけた営業中の飲食店。一人で来た暇そうな日本人を相手にしゃべりかけてくれる、店主のおばさん。
翌日にシェムリアップへ行くことを伝えると「私の兄と娘がシェムリアップでゲストハウスやってるから、そこに行きなさい。手配しておくわ!」と話してくる。
騙されているのか?ぼったくられるのか?と思いつつ、人柄がよさそうなので誘いに乗ってみることに。
翌日、プノンペン→シェムリアップの長距離バスに乗車。6時間の道のり。(町の規模と道のり的に東京→大阪くらい?)
まさかのバスにはカンボジア人しかいない。そんな中日本人一人。やたらジロジロ見られたが無視。
シェムリアップへ着くと私の名前を掲げた紙が。
まさか、昨日のおばさんがここまで手配を!
紙を掲げたおじさんについて行き、トゥクトゥクに乗車し、ゲストハウスへ。
これまた立派なゲストハウスに到着。
プール設備。24時間いつでも使用可能。 奥の建物のところではいつもサッカー放送。
二日間滞在したのだが、日本人は2人しか見かけず、欧米人ばかり。旅先で日本人とあまり話したくない私からすると好都合。
ビーチサッカー場もあり、私が滞在中はフランス人?の人が主催で国別ビーチサッカー大会。
もちろん日本人はいないので、私はカンボジア代表として参戦。(ホテルオーナー・従業員・トゥクトゥクの運転手・私)
相手はイングランド・フランス・ドイツ・アルゼンチン・スイス・ニュージーランド・イスラエルなどなど多くの国の人たちがいる。
そして、皆180cmを超えるガタイで足元も上手い。 フィジカルでは負けてしまうので香川のように隙間でのプレーを心掛けるカンボジア代表の日本人。
ちなみにゴールを決めるとビール券がもらえる。私も1日1ゴールを二日間コンスタントに結果をだして、券をいただく。
プールに接するバーでアンコールビール(現地のビール)を券と引き換えにタダでいただく。
ちなみに一泊4ドル(500円)ほどという素晴らしいホテルであった。
夜はシェムリアップで有名なnight marketへと繰り出し、散策。
明らか未成年の売春婦らやレディーボーイ(オカマ)達にやたら好かれる単独行動の日本人の私。
無事にホテルへ戻り。翌日のアンコールワットに備える。
部屋はドミトリーで二段ベットの下。上はヨーロッピアン、横はオランダ人で両方美女であった。
カンボジアといえば、そうアンコールワット。 写真は他にも撮ったがこれだけアップ。
これから行く人に注意なのが、悪徳なガイドがいること。 周り終わった後に高額な値段を請求してくる。
正直、アンコールワットに行ってみたが、古代のものがこんなに綺麗に保存されていることに感動したが、それほどでもなかった。
ホテルではプノンペンで手配してくれた、おばさんのお兄さんと娘さんに会うことが出来た。
そのうえ、二日間とも私を家族の晩御飯を招いてくださった。感謝しきれない。
娘さんは私と同じ年で英語が堪能で美人であったが、Facebookの交換を求められた後に確認すると彼氏がいるそうである。(特に何か期待したわけではないが)
シェムリアップでの二日間を終え、カンボジア滞在4日間を終えて私はタイへ向かうのであった。
カンボジアはまた行きたい国の一つである。
最後に。
プノンペンのスタジアムからホテルへ帰るときに撮影。
将来のカンボジア代表は毎日ストリートで技術を磨くのである。
一見、立派な建物に見えるが、中は質素で冷房もない。その上、多くの人で溢れかえっているため、蒸し暑い。
ここで事件が起きる。
私は同じバスの乗客の中で列の最後尾に並び、カンボジアに入国することとなった。
イミグレーションの列で前に並んでいるドイツ人と談笑しながら、入国を待つ。
ドイツ人が入国を済ませ、自分が入国審査を受けようとした際にまさかの停電。(カンボジアではよく停電が起きる)
復旧まで数分待ち、カンボジアへ入国するとさっきまで乗っていたバスがいない。ちなみにバックパックはバスに乗せたままである。
国境で事件が起きるとはよく聞いていたが、まさか置いて行かれるとは思ってもいなかった。しかも、荷物を積んだまま。
しかし、なぜか近くにバスに乗っていた集金係りがいる。
そいつは私を発見するなり、近寄ってきて「バスは先にいった、バイクで追いかけるぞ!」と言った。
えええええええ!?
よく分からない展開だったが、荷物を積んでいる以上は何としてもバスに辿り着かなくてはいけない。
国境からバイクタクシーに3人乗りでバスを追いかける。(運転手・集金係り・私)
10分ほど走ると、バスが休憩所にて停止している。無事に追いつくことが出来た。
バス会社は確か【kumho~~~~】のような名前で赤いバスである。後日調べたのだが韓国系列の会社である。今後行かれる方は注意してもらいたい。
カンボジアの首都プノンペン到着後は戦場となったキリングフィールドへ。
実際の戦場をそのまま残している。
写真の骨は模型などではなく、本物である。
ここで多くの人が犠牲になっているため、たくさんの骨が出現する。
その後、プノンペンでゲストハウスを探す。
これが発展途上国なのだろう。
ゲストハウスを確保し、私は今回一番楽しみにしていた、カンボジアオリンピックスタジアムへと歩いて向かう。
そもそもスタジアムは観光地ではなく、普通の旅人は訪れることはない。
しかし、サッカー好きの私にとって、今度のW杯予選で日本と対戦するカンボジアのスタジアムへの興味は高い。
スタジアムの形は取り壊された日本の国立競技場に似ている。
報道通り、人工芝である。
試合日は雨が降らないと良いが…
今度はスタジアム周辺を徘徊。
ストリートサッカーをする男たち。
もちろん、混ざる以外の選択肢はない。 カンボジア人の彼らも日本人である私を受け入れてくれる。(日本vsカンボジア前日9/2)
みんな足元には優れるが体の線が細いといった印象。
この日はこれにてホテルへ帰宅。
日本vsカンボジアのW杯予選当日。
地元埼玉県では試合が行われる。そんななか私はカンボジアに。(ホームとアウェイを間違えたわけではない(笑))
午前中は日本人がオーナーをやっているサッカーチーム、『カンボジアンタイガー』のスタッフの方に取材?といった形で話を聞くことに。
午後はトゥール・スレーンという戦争時の収容所へ。
ここも当時のまま残してある。日本の学生証を提示すると無料で入ることができた。
他にも王宮なども見学したが、感動がいまいちだったので触れずにおく。
夜はもちろん、カンボジアで日本vsカンボジア代表を観戦。
試合は大いに盛り上がりました。
試合後、ホテル周辺を散策。2日間の滞在にして、首都プノンペンを後にしてアンコールワットのあるシェムリアップへ行かなくてはならない。
そのため、名残惜しくなり夜中の徘徊。 といっても夜9時にはほとんどのお店がシャッターを下ろす。
そんな中、見つけた営業中の飲食店。一人で来た暇そうな日本人を相手にしゃべりかけてくれる、店主のおばさん。
翌日にシェムリアップへ行くことを伝えると「私の兄と娘がシェムリアップでゲストハウスやってるから、そこに行きなさい。手配しておくわ!」と話してくる。
騙されているのか?ぼったくられるのか?と思いつつ、人柄がよさそうなので誘いに乗ってみることに。
翌日、プノンペン→シェムリアップの長距離バスに乗車。6時間の道のり。(町の規模と道のり的に東京→大阪くらい?)
まさかのバスにはカンボジア人しかいない。そんな中日本人一人。やたらジロジロ見られたが無視。
シェムリアップへ着くと私の名前を掲げた紙が。
まさか、昨日のおばさんがここまで手配を!
紙を掲げたおじさんについて行き、トゥクトゥクに乗車し、ゲストハウスへ。
これまた立派なゲストハウスに到着。
二日間滞在したのだが、日本人は2人しか見かけず、欧米人ばかり。旅先で日本人とあまり話したくない私からすると好都合。
もちろん日本人はいないので、私はカンボジア代表として参戦。(ホテルオーナー・従業員・トゥクトゥクの運転手・私)
相手はイングランド・フランス・ドイツ・アルゼンチン・スイス・ニュージーランド・イスラエルなどなど多くの国の人たちがいる。
そして、皆180cmを超えるガタイで足元も上手い。 フィジカルでは負けてしまうので香川のように隙間でのプレーを心掛けるカンボジア代表の日本人。
ちなみにゴールを決めるとビール券がもらえる。私も1日1ゴールを二日間コンスタントに結果をだして、券をいただく。
ちなみに一泊4ドル(500円)ほどという素晴らしいホテルであった。
夜はシェムリアップで有名なnight marketへと繰り出し、散策。
明らか未成年の売春婦らやレディーボーイ(オカマ)達にやたら好かれる単独行動の日本人の私。
無事にホテルへ戻り。翌日のアンコールワットに備える。
部屋はドミトリーで二段ベットの下。上はヨーロッピアン、横はオランダ人で両方美女であった。
これから行く人に注意なのが、悪徳なガイドがいること。 周り終わった後に高額な値段を請求してくる。
正直、アンコールワットに行ってみたが、古代のものがこんなに綺麗に保存されていることに感動したが、それほどでもなかった。
ホテルではプノンペンで手配してくれた、おばさんのお兄さんと娘さんに会うことが出来た。
そのうえ、二日間とも私を家族の晩御飯を招いてくださった。感謝しきれない。
娘さんは私と同じ年で英語が堪能で美人であったが、Facebookの交換を求められた後に確認すると彼氏がいるそうである。(特に何か期待したわけではないが)
シェムリアップでの二日間を終え、カンボジア滞在4日間を終えて私はタイへ向かうのであった。
カンボジアはまた行きたい国の一つである。
最後に。
将来のカンボジア代表は毎日ストリートで技術を磨くのである。
by unitedboy
| 2015-09-16 12:47
| Football